銀色のドラゴンの鉤爪に掴まれて、私は空を飛んでいた。
眼下には広大な黒い森。耳元ではびゅうびゅうと風が流れていく。 あんなに巨大な爪で掴まれたら、私みたいなへなちょこはあっさり肉塊になりそうなものだが、どういうわけか生きている。 むしろ爪のタッチはとても優しくて、細心の注意を払ってそっとつまんでいるような感覚すらあった。 そして風もそんなにひどくない。冬の風は冷たいはずなのに。 ドラゴンは相当なスピードで飛んでいるので、風圧だけでもかなりのものだと思うのだが。そうしてどのくらい飛んでいただろう。
青空が夕焼けに変わり始めた頃、ドラゴンは速度を落とした。 すうっと進む先には何やら建物が見える。石造りのお城のような立派な建物だ。 ドラゴンは建物に近づいて、その前の広場に着地した。私はそうっと地面に下ろされた。丁寧な動作だった。「魔王様! また勝手に出歩いて!」
建物の中から人影が走ってきた。
その男性を見て、私はぎょっとする。 灰色の髪の頭からヤギを思わせるねじれた角が生えていたのだ。 ヤギの人はドラゴンの顔元まで行くと、お説教を始めた。「勝手に人間の領域まで行ってはいけないと、あれほどお教えしたでしょう! 人間は野蛮な生き物です。我ら魔族を捕まえて、鍋で煮込んで食べるんですよ!」
「いや食べませんよ」
ついうっかりツッコミをいれてしまった。
ヤギの人が驚いて振り向く。「人間!? 魔王様、どういうことですか!」
ドラゴンはみじろぎした。するとその輪郭が淡い影に包まれて、次の瞬間には一人の青年の姿へと変わっていた。
銀色に青い目をした、美しい顔立ちの青年――いや、まだ少年といっていいくらいの年頃の人だった。 どういう原理か知らないが、服もちゃんと着ている。ユピテル帝国のものと大差ない服だ。「ゴードン、うるさいぞ。この人は僕の花嫁。ずっと探していた人」
「はい?」
ゴードンと私の声が見事にハモる。
魔王と呼ばれた元ドラ銀色のドラゴンの鉤爪に掴まれて、私は空を飛んでいた。 眼下には広大な黒い森。耳元ではびゅうびゅうと風が流れていく。 あんなに巨大な爪で掴まれたら、私みたいなへなちょこはあっさり肉塊になりそうなものだが、どういうわけか生きている。 むしろ爪のタッチはとても優しくて、細心の注意を払ってそっとつまんでいるような感覚すらあった。 そして風もそんなにひどくない。冬の風は冷たいはずなのに。 ドラゴンは相当なスピードで飛んでいるので、風圧だけでもかなりのものだと思うのだが。 そうしてどのくらい飛んでいただろう。 青空が夕焼けに変わり始めた頃、ドラゴンは速度を落とした。 すうっと進む先には何やら建物が見える。石造りのお城のような立派な建物だ。 ドラゴンは建物に近づいて、その前の広場に着地した。私はそうっと地面に下ろされた。丁寧な動作だった。「魔王様! また勝手に出歩いて!」 建物の中から人影が走ってきた。 その男性を見て、私はぎょっとする。 灰色の髪の頭からヤギを思わせるねじれた角が生えていたのだ。 ヤギの人はドラゴンの顔元まで行くと、お説教を始めた。「勝手に人間の領域まで行ってはいけないと、あれほどお教えしたでしょう! 人間は野蛮な生き物です。我ら魔族を捕まえて、鍋で煮込んで食べるんですよ!」「いや食べませんよ」 ついうっかりツッコミをいれてしまった。 ヤギの人が驚いて振り向く。「人間!? 魔王様、どういうことですか!」 ドラゴンはみじろぎした。するとその輪郭が淡い影に包まれて、次の瞬間には一人の青年の姿へと変わっていた。 銀色に青い目をした、美しい顔立ちの青年――いや、まだ少年といっていいくらいの年頃の人だった。 どういう原理か知らないが、服もちゃんと着ている。ユピテル帝国のものと大差ない服だ。「ゴードン、うるさいぞ。この人は僕の花嫁。ずっと探していた人」「はい?」 ゴードンと私の声が見事にハモる。 魔王と呼ばれた元ドラ
私は興奮のあまり手を握った。 戦う男たちの姿が目の前にある! 英雄叙事詩と違って、相手は魔物だけど。 いや、魔物だからこそ殺す罪悪感や嫌悪感はなく、純粋に応援して見ていられる。 よく目を凝らせば、隊列の中ほどにベネディクトの姿があった。 自身も剣を振るいながら兵士たちを指揮している。 今も兵士の背後を襲った灰色の獣を斬り飛ばした。鮮やかな手腕だった。 かっこええ――! 特にあの、助けてもらった兵士が尊敬の表情で彼を見たとこ! めちゃおいしい! ぎゅっと握った手が熱くなる!「フェリシアちゃん?」 背後でクィンタの声がしたが、今はそれどころではない。 ベネディクトは獅子奮迅の活躍を見せた。大きなトンボのような魔物を斬る。 けど刃が魔物の体から抜けないうちに、横合いから別の魔物が飛びかかった! 身を巡らせた彼の瞳が大きく見開かれる。 危ない、叫んだところで届くはずもない。 けれど魔物は空中で動きを止め、そのまま地面に落ちた。 魔力で作られた矢が鋭く飛来して、魔物の頭部を撃ち抜いたのだ。 矢は私の背後から放たれた。つまり。「ったく、ベネディクト! てめえ油断してるんじゃねえぞ!」 クィンタが怒鳴った。「余計な手出しをするな! お前はフェリシアをしっかりと守っていろ!」 ベネディクトも怒鳴り返した。けれど口調と裏腹に、口元には笑みが浮かんでいる。 ベネ×クィだ!! まさに理想のベネ×クィ!!! 口では悪口言い合いながら、心底では信頼し合っている幼馴染カプ! 私は興奮して頭がくらくらした。目の前でメガトン級の萌えを提供されれば、誰でもこうなるっ。「あああ……」「フェリシアちゃん?」「もうたまらねぇ――――!」 萌えたぎる心のままに叫んだら、光が洪水のようにあふれた。 さっきまで薄暗かった黒い森の中が、急
(軽率だったかも……) 後悔してももう遅い。軍団長は可能性を口にしてしまった。 彼を見ると、笑みを浮かべていた。いつもの穏やかな笑顔ではない、どこか不敵に見える笑み。 軍団長は勝ち目のあるケンカだと思っているようだ。 そりゃあ確かに彼の生家は有力貴族で、元老院議員を何人も輩出していると聞いたけれど。 本当に大丈夫だろうか? 「フェリシア。どうした?」 私のすぐ横にベネディクトがいる。彼は出撃後は最前線に出る予定だけど、今はまだここにいてくれる。「聖女の話なら気にしなくていい。『皇太子』と『きみの妹が聖女を名乗った』件は承知している。皇帝陛下が聖女伝説を信じておらず、それらを軽視しているのも」「!」 婚約破棄と帝都追放は、皇太子の独断だったと思う。 皇帝がどう考えているか不明だったけど、聖女そのものを信じていないのか。 それならば皇帝は妹を特別に買っているわけではなく、関心が薄い……ぶっちゃけどうでもいいのだろう。 皇帝が必要としているのは『光の魔力がある』と神殿に認定された女性。 聖女を信じていないなら、表向きに認定があれば真贋は問わないのだと思う。 であれば私がちゃんと光の魔力を証明すれば、泥をかぶるのは皇太子だけで皇帝は見直してくれるかもしれない? 皇帝の責任もゼロではないが、挽回の余地はありそうだ。 軍団長が再び声を上げる。「今回の戦いは、フェリシア嬢の力の試金石となるだろう。お前たちは聖女を守る名誉が与えられた。必ず遂行し、魔物を殲滅させよ!」「おおーっ!」「フェリシアちゃんは絶対に守る!」 兵士たちから熱量の高い叫び声が上がる。 要塞の門が開かれ、ゼナファ軍団は魔物のいる場所へと出撃していった。 私はクィンタに抱えられるようにして、馬に乗っている。 この古代文明では鐙《あぶみ》というものがなく、
このまま平穏な日々がずっと続けばいいと思っていたけれど、現実はそう上手くいかない。 ある日の午前中、魔物の出現を知らせる伝令が駆け込んできた。「位置は北東に六マイル。魔獣型と昆虫型の混合です!」 伝令の声が軍団長の執務室から漏れてくる。 ただちに出撃の命令が下されて、要塞内は慌ただしい空気に包まれた。「軍団長」 忙しいのを承知の上で、私は執務室に入った。 軍団長は鎧を身に着けている最中で、目線だけを私に向けた。「何かな。よほどの急用でなければ、帰還後にしてほしいのだが」「私を連れて行ってください」「……何?」 手を止めた彼に、私は膝をついて頼み込んだ。「私はここのところ、光の魔力の練習をしていました。でも、どうしても上手にできなくて。光の魔法が発動したのは、クィンタ隊長の傷を治したときだけです。あのときは彼の体に残っている瘴気に触れて、その存在を実感しました。だから瘴気から生まれる魔物を間近に見れば、何かが変わるかもしれないと思って」 光の魔力は相変わらず不明瞭なまま、はっきりとした成果を上げられないでいる。 クィンタに手伝ってもらって訓練を重ねていたが、それでも駄目だった。 だから私は焦っていた。こんなに良くしてくれている要塞の人たちに、もう少し恩返しがしたくて。 私が本当に聖女だというなら、役に立てるはずだ。 あとはまあ、ファンタジー世界ならではの魔物をこの目で見てみたい、とか。 戦っている軍団兵の皆さんとイケメンを見てみたい……とか。 下心もちょっとはある。本当にちょっとだけだから! 軍団長はしばらく考え込んだ。「許可はしかねる。戦場は危険で、非力な女性を守る余裕はない。きみを守るために兵士に犠牲が出ては本末転倒だからな」「…………」 私は拳をにぎりしめた。その通りで反論ができない。 やっぱり無茶だっ
読み書き教室は人数が増えたので、食堂に集まっての授業になった。「フェリシアさんの教材は分かりやすい。昔、子供の頃に私設学校に通っていたが、読み書きの教材が古典詩でさ。言い回しは難しいわ見慣れない言葉が出るわで途中で逃げ出したんだよ」「分かる、分かる。教師もムチを振り回すような奴だったしな。あの頃は勉強が嫌いだった。平民の学校なんぞそんなもんだよな」 ユピテルでは寺子屋みたいな形で私設学校での初等教育が行われている。 首都ならたくさんの学校があるし、要塞町でも子供たちが学んでいるのを見かける。 メイドや兵士たちもそういうところで学んだ人が多いようだ。「わたしもそんな感じだったわ。特に計算が難しくて、身につかなかったっけ。フェリシアの教材はすごいわね」 やたら褒められているが、教材は日本の小学校の教科書やドリルを参考にしただけだ。 計算問題はよくある「ここにリンゴが三個あります~」みたいなやつ。 身近なものを例に出したら、みんな分かりやすかったようだ。 あと、九九は暗記してもらうことにした。 歌を歌うのが得意な兵士がいたので、適当にメロディーをつけてもらって九九の歌にした。 みんなで歌って笑いあって、楽しく覚えたよ。 唯一の無念は読み書きの教材をBLにできなかったことかな。 だって軍団兵たちが来てしまったもん。彼らに読ませるわけにはいかないでしょ。 当初の予定では私のBL小説をテキストにする予定だったんだけど、まあ仕方ない。 とにかく学びたい理由がある彼ら彼女らは熱心で教えがいがあった。 今夜も一通りの課題をこなして終わりの時間になる。 するとひょっこりクィンタがやって来た。手にはワインの瓶がある。「よう、みんな。やってるな。お勉強が終わったら、酒の時間といこうじゃないか」「いいっすね! メイドさんたちも飲んでいきなよ」「じゃあ、おつまみになるもの作ってきますね」 そうして飲み会が始まった。 いつぞやは無理やり誘われて嫌だったが、こんなふうにみんな
物語のヒットと商売の配当金でリッチになった私だったが、メイドの仕事は続けている。 本当のところを言えば、そろそろ専業作家として執筆に専念してもいい気はする。 お金の面は問題なくて、周囲の人たちも応援してくれているし。 でも私は、仕事をしながらメイド仲間と萌え語りして、軍団兵たちから萌えをもらって、みんなで一緒に暮らす今の暮らしがとても気に入っているのだ。 実家にいるときは、たった一人で虐げられてばかりだった。脳内妄想がなければ耐えられなかったと思う。それに比べればここはパラダイスだよ。 物語の執筆は、元々寝る前の時間を工面して行っていた。 今だってそれをやればいい。 そう伝えると、リリアは心配そうにしていた。「でも、フェリシア先輩。メイドの仕事は忙しいのに、寝る時間を削って続けるなんて。体が心配です」「そうよ。いくら若くても無理は禁物よ」 メイド長まで口を出してきた。 私は「平気です」と言いかけて、ふと思い出した。 前世の死因が同人誌の原稿のためにエナドリがぶ飲みの無茶な生活をしていたせいだと。 とはいえこの世界にエナジードリンクはないし、当時の年齢よりも今のフェリシアのほうがずっと若い。多少の無茶は大丈夫なはずだ。 そこまで考えて、もう一つ思い出した。この体は本来小さいフェリシアのものであって、私が勝手に粗末に扱っていいものじゃない。 できるだけ大切にすると決めたばかりなのに、私のバカめ。「どうしたらいいでしょう……」 私がしゅんとすると、リリアとメイド長は「やっと分かったか」という表情になった。「あたしたちはみんな、あんたの物語を応援しているのよ。石けんで水仕事が楽になって、ハンドクリームで手荒れだって治った。何を遠慮しているんだか」「そうですよ。だから仕事は気にしないで。物語に専念してください」「けど、それではどうしても落ち着かないの」 私の言葉に、二人は呆れた様子である。「頑固ねえ。じゃあ、あんたの仕事を少し減らして休日